負けたくない。
~ブログ読者のみなさま~
こんばんは。香波です。
私のブログへお越し頂きましてありがとうございますm(_ _)m
私の家にはテレビがありません。
パソコンとスマホで情報を入手してます。
だから、「ディスる」「マウントする」と言ったここ数年(?)使われるようになったと思われる言葉は知りませんでした。
今の職場で自信がついてしまったせいか、YouTubeやある企業のシステム説明会の動画を見たりしていると、つい、ディスったり、マウントするような独り言を画面に向かって発してしまいます。
「そんな説明じゃ、お客さん、理解出来ないよー。」
とか、
「えー、そんなこと言っていいの?」
とか。
おばちゃんならではの文句…でしょうか?
これは良くないと、後で反省するからタチが悪いなと思います。
ふと、過去を振り返った時に、誰かと比べてはいつも負けたくないと思っていました。
負けたくない反面、人の上にいると実感すると、「ディスる」「マウントする」ということをする傾向にあると思うのです。
さて、昨日の続きです。
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太っている、ブスである ーーー そんな私は別の事で人の上に立てるようになりたいと思っていました。
高校ではテストの高得点者の順位が発表されます。
私は英語だけは誰にも負けたくないと思って取り組んでいましたので、英語のテストの順位は上位にいた方でした。(他の教科は中~中の下くらいです(笑))
英語のクラス分けも必ず一番上のレベルにいるように、英語の勉強だけは取り組んでいました。
そんな私が高校3年生の進路を考える始める時期の4月頃、大きな会場で開催されていた大学・専門学校など集まった学校説明会を訪れました。
そこには私が興味のあった外国語学科のある大学がブースにありました。
外国語学科のブースに立ち寄った後、ふと、帰り間際にあるブースに立ち寄りました。
留学準備のための語学カリキュラムを提供し、留学手続き代行を担う専門学校でした。
そこでは留学について色んな話を聞いたのです。
留学の事を調べてみると、「今、アメリカで起こっていることは10年後日本に起こる。」と言及する人の話を聞いて、
「留学したことで周囲よりも上に立てるかもしれない...。」
と、思ったのです。
今、考えると支離滅裂です。
けれど、当時の私は、人と横隣で進んでも人と差がつけられないと思いました。
将来どんな職業に就いて仕事をしたいか全く分からなかったのですが、人と差をつける為には、人と違う何かをしなければならないと思っていました。
太っていて、美人でもない私が何か目立つためには、何か違う、人が目につくような事をしないとやっていけないんだと思いました。
負けたくない。
誰にも負けたくない。
そう思っていたのだけは間違いありませんでした。
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多少脂肪があろうが、顔が整っていなくたって、学校の勉強が苦手だって、きちんと世間の為になる事を成し遂げている人は沢山いるのに、なぜ私は今も外見 ーーー脂肪があること、太っていること、顔がブスであることーーー に拘っているんだろうと思います。
私の場合、「外見が劣っていると自分が思うこと」が自己肯定感ゼロの始まりでした。
「外見が劣っている」と判断したきっかけは小学校の時のいじめです。
「外見が劣っている」くせに、「成績が悪い」までなってしまうと、本当に社会で生きていけないと、高校生の時に、無意識レベルで感じていたのでしょう。
最近は、外見を指摘するような広告を辞める運動があるそうですね。
以前から感じていましたが、メディアの人に対する影響力は良くも悪くも大きいと思います。
テレビ・雑誌・ネットなどで「かっこいい」「かわいい」と称賛されると、そうでない人はどう感じるのでしょうか?
その一方で、容姿端麗な人は給与が多くなる傾向にあるなど、美人について研究した本が紹介されている動画をYouTubeで見ました。
外見って何なんでしょう?
「初対面で数秒くらいで印象が残るから、清潔感を意識した装いをしましょう。」と助言するビジネス向けの本を見かけます。
私は「人は外見じゃない」と声を大にして訴えたいのかもしれません。
けど、私は今の体と顔が好きではないので、体は改善しようとしています。
でも、顔を見ると、未だに消えたいと思ったりします。
なぜこんなことを思うのか、次回、書きたいと思います。
今日はここまでです。
読んで下さり有難うございます。
また引き続きよろしくお願いします。
香波