想いを口に出せた日と母の反応。
~ブログ読者のみなさま~
こんばんは。香波です。
私のブログへ来てくださり、ありがとうございます!
今日、YouTuberのシオリーヌさんの結婚の権利についての話から同性婚訴訟の動画まで見ました。
同性婚訴訟をGoogle検索していたところ、原告側の方が亡くなられたとのネット記事を見つけました。
悲しくなりました。
性的指向が同性でも異性であっても、それはその人自身の心から生まれたものであって、それを第3者が奪う権利はあるのでしょうか。
日本という国は、集団の人間を同一にさせる事に重視する文化社会だと思いますが、令和になって3年経つ今、多様化を受け入れないと国として生き残れるのか疑問に思います。
今の私は、いじめがきっかけで姿・形だけで差別するのはどうなのかという思いから、色んな立場の人を尊重しようと決めています。
年齢も性別も国籍も見た目も何もかも関係ない、全ての生まれた人間の個性が尊重される、日本がそういう社会になることを願ってやみません。
昨日の続きです。
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卒業式まであと10日くらいの3月のある日。
テレビのある和室で過ごしていたところで通りすがりの母に、
「学校いきたくない・・・」
と言いました。
心の中では、”こんな事言っていいのか?いや、言ってはいけないよな…。でも、もう学校行きたくない。”と思っていました。
今、振り返ると、我慢を重ねた爆発だったんでしょう。
5年生の2学期くらいから6年生の1年間、合計1年半くらい、小学校6年間の内の1年半は長かったのかなと思います。
母の反応は違っていました。
さらっと、
「いいよ、行かなくて。」
と。
私は「えっ?!」という顔をしていました。
その数年後くらいに、母も中学生の頃か、「メガネブス」とか何とかいじめられていたという話を聞きました。
彼女もその経験があるから、共感してくれたんだと思います。
次の日、生まれて初めてのサボりです!
いつもは8時に家を出るのに、私は用意していなかったので姉と妹は変に思っていたかもしれません。
「こんなことしていいのかな?いいのかな?」と心の中でソワソワしていました。
初めてのサボりの日、何をして過ごしていたのかはハッキリと覚えていません。
ただ、担任の先生(女性・27歳)から連絡があったか何かで、一度話をするために生徒が下校した後の午後の時間帯に学校へ行きました。
正門から入りましたが、いつもの下駄箱から入るとクラスメートにサボりがバレてしまう可能性があるので、保健室から隠れて学校の中へ入り先生と話をしました。
今まで感じていたこと、誰に何を言われたか?どんな気持ちだったか?他にも私と同じように言われた女子生徒がいること、全て先生に話をしました。
私が「(男子生徒へ許さないと思ったら)水、かけていい?」と言ったら、先生は「いいよ。」と言ってくれました。
その日から心が軽くなった感じがしました。
次の日からまた学校へ行きました。
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少しエピソードの詳細が欠けてしまっていて申し訳ありません。
どんな感じだったか、思い出そうとしていますが、年齢を重ねると記憶も薄れるものなのでしょうか。
ただ、この日から気持ちが軽くなったのは鮮明に覚えています。
ずっと抱えていた重たい物から解放された気分でした。
今もいじめで苦しめられている方、すごい辛いですよね。
死にたいって、この世から消えたいって、思っているんだろうな...。
この世のどこかで小さい命が苦しんでいると思うと、心が苦しくなってきます。
でも、どうか、どうか、死なないで欲しい...。
きっと、明るく笑える日が来るから。
明日続きを書きます。
今日も読んで下さりありがとうございました。
まだまだコロナ禍が続きますが、お体に気を付けてお過ごしください。
香波